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KONO's Diary-休むに似たり



2010-09-01 [長年日記]

_ [] 「りゅう」の話

随分久々の更新になってしまった。

「りゅう」は実家で飼っていた犬である。先日、死んでしまった。享年16歳だったので、犬としては天命だったと思う。

「りゅう」が実家にやってきたのは、ぼくを含む子どもたちがみな家を出たあとだった。その前に飼っていた柴犬系の雑種「さぶ」が死んでからしばらく経ち、ペットを喪った悲しみも癒えた両親は、また犬を飼おうと思い立ったらしい。

里親募集の仔犬たちを集めた催しがあって、近くに住む姉の家族と一緒に出かけたら、ビロードのように真っ黒い毛に覆われた 牡のチビ犬がいた。

顔も毛に覆われて、よく見えないほどだったが、モコモコと動く姿がなんとも愛らしかった。

「この子がいい、この子にしよう」と姉の子どもたちが言った。その仔犬が実家にやってきて、「りゅう」と名づけられた。

ぼくも犬は嫌いではないので、実家に帰ったときに「りゅう」の散歩に連れて行ってやった。けれども「りゅう」は、どうも散歩があまり好きではないようで、近所を一周するとすぐ家に帰りたがった。それまでぼくが知っていた犬は、例外なく散歩が大好きだったので、「りゅう」の態度はちょっと意外だった。

その後「りゅう」はどんどん大きくなっていった。それとともに、真っ黒だった毛はいつの間にか白髪まじりになった。 もともと雑種の犬なので、成長するにつれ仔犬の頃とは違う種類の先祖から受け継いだものが色濃く出てきたようだった。
眉毛や髭 のあたりに白いものが混じると、まだ若いのにまるで老犬のような風貌になった。
当時の首相は村山富市さんで、「りゅう」は 眉毛の辺りが村山さんに良く似ていた。村山首相の仇名が「とんちゃん」だったので、「名前は"りゅう"じゃなくて"とん"にし ておけば良かったねぇ」などと家族で言い合った。

結局、ビロードのようだった「りゅう」の体毛は、ぱさぱさの白髪混じりになってしまって、仔犬の頃に比べると見栄えはずいぶん悪くなった。

「りゅう」は家では田舎の犬らしく、庭の犬小屋に鎖でつながれていた。犬小屋の中には古い玄関マットや毛布をクッション代わりに敷いていた。

番犬のつもりだったのだが、当の犬はひどい怖がりで 、カミナリが特に嫌いだった。空がかき曇って遠くの方で雷鳴が聞こえ始めると、「わん、わん」とうるさく鳴いて、家の中に 入りたがった。両親は滅多なことではかれを家に入れなかったが、そうすると近所迷惑になるほど鳴き続けた。

何年か経つうちに、「りゅう」に噛み癖があることがわかってきた。仔犬の頃から何かの拍子に噛むことがあって、最初は「まだ仔犬だから仕方がない」ということでその都度「噛んだら駄目だぞ」と叱っていた。これで通常は大きくなるにつれて噛まなくなる筈なのに、「りゅう」は大人になった後もたまに家族を噛んで、血がでるほどのケガをさせた。
おそらく怖がりな性格と関係があって、自分では噛むつもりではなくても、イヤなことをされたり怖い思いをしたときには反射的に噛んでしまうようだった。
噛みつかれた人間が痛みのあまりに悲鳴を上げると、かれは驚いた顔をして咬むのをやめ、たった今つけたばかりの咬み跡を申しわけなさそうに舐めるのだった。

ある日、実家に帰っていた兄がかれの世話をしているときに噛まれて、指の腱を傷めてしまった。それ以来、小さな孫たちは「りゅう 」に近づくことを禁止された。

子どもたちが近づかなくなったりゅうは、犬小屋でいつも丸くなっていた。一日に二回、あまり犬好きでない父親が、面倒くさそうに散歩に連れて出たが、犬の方ももともと散歩が好きではないのでそれも短時間だった。

エサもそんなに食べる方ではなくて、楽しいことがほとんどないような犬だった。たまに雷が鳴ると怖くて大騒ぎをして、両親に叱られていた。

それでも母親だけは「りゅう」の味方だった。何年か経ったある日、母親がブラッシングをしているときに手を噛まれて、しばらく外科に通うほどのケガになった。手に包帯を巻いている母親を見て、近所の人たちが「その犬は保健所に連れていった方が 良い」等と言ったが、母はまったく取り合わなかった。

六年前のある夜、前日まで元気に見えた父がぽっくりと亡くなってしまった。一族が集まり、葬式を済ませると、実家にいるの は母と「りゅう」だけになってしまった。母も年を取って足が悪くなってきたので、運動のために「りゅう」の散歩を励行した 。犬の健康にとっても散歩は重要だった。肉の入った、「りゅう」の大好きなオヤツがあって、家から遠く連れ出したところで それを一つ食べさせることにしたら、散歩嫌いだったのがそのオヤツがもらえる場所まで懸命に歩くようになった、と母は笑った。

「りゅう」もいつの間にか、10歳を越えていた。

年に二回、盆と正月にはぼくを含めた子どもたちとその家族が帰省するが、それ以外の日々は老母と犬だけの生活だった。

昨年の正月が明けた頃、犬小屋のまわりをよたよたと歩き続ける「りゅう」を見て、様子がおかしいのに母が気がついた。獣医に連れて行くと、肝臓や心臓の機能が非常に低下していて、瀕死の状態だという。のたうち回る代わりに、よたよたと歩いて苦しみを紛らわしていたらしかった。

高価なクスリを使えば少しは楽になるかもしれないが、高齢なので快復は期待できないと獣医は言った。それでも構わないと、治療をお願いした。

そのまま死んでしまうかと思ったが、何日か入院した後、なんとか一命はとりとめた。

けれども、若い犬のようには回復しない。退院して、実家にもどった「りゅう」は、犬小屋のまわりにやたらと粗相をするようになった。以前は散歩に行くまで、何時間でも排泄は我慢していたのが、我慢できなくなった。

病気のせいかクスリの副作用か、鳴き声も変わった。喉が潰れたような声で「あお、あお」と鳴くようになった。

散歩も、もう家の周りを一周するだけになってしまった。

年を取って白内障も出たようで、眼があまり見えていないようだった。散歩の途中で、道路の段差などでたたらを踏むようにな った。餌を食べるのは匂いがあるので大丈夫なようだったが、顔の周りを虫が飛んでも見えていないようだった。

ある日、母が白内障の様子を見てやろうと「りゅう」の眼を覗き込んだら、眼の中を泳ぐ線虫がいた。びっくりして病院に連れて行くと、「東洋眼虫」という寄生虫だろうと診断だった。顔の周りを飛び交うハエなどの虫が媒介する虫で、ただちに命に関わるような危険はないが、クスリで駆除できないので一匹ずつピンセットで取るしかない。何度か獣医に通って、全部取ってもらった。小屋の周りも羽虫の類が来ないように、こまめに掃除した。

地球温暖化の所為か気候は年々暴力的になって、昨年は雷がよく鳴った。

「りゅう」は相変わらず雷を怖がった。

そのたびにかれは「あお、あお」と鳴いて、助けをもとめた。昼間だけではなく、深夜でもお構いなしに鳴いた。

抛っておくと、どこかに逃げようとして、鎖に繋がれたまま辺りをぐるぐるまわり、周囲に鎖がからまって身動きできなくなる のだった。そこらじゅうに粗相をしているところで、犬小屋から引っ張り出した敷物を鎖に巻き込んで、ひどいありさまになっていることもしばしばだった。鎖で首輪が締まって、息ができ なくなっているのではないかと思えるようなこともあった。犬小屋は庇の下にあるのに、わざわざ雨の中に出てそこで絡まって いることもあった。

「りゅう」は身動きできなくなると、そのまま「あお、あお」と鳴きながら助けを待っていた。

去年の末頃から、雷が鳴らない時でも「あお、あお」と鳴くようになった。少し連れて歩いたり、犬小屋の周りを掃除してやったりするとおとなしくなったが、だんだん鳴く頻度が増してくるようでもあった。いちいち相手もしていられないが、抛っておくと鎖で絡まってしまうので、母は時々様子を見てやった。

鳴かない時は、犬小屋の中でぼんやりしていることが多かった。

母は手紙の中で「目は見えないし、シッポも振らないし、嬉しいのか悲しいのかわからなくて、自分の老い先を見ているような気がする」と書いた。

この冬は越せないかもしれないと思っていたら、しぶとく春まで生き延びた。

春先にまた母の手を噛み、おかげで母はしばらく握りこぶしを作ることができなかった。

母はそれでも、「りゅう」の世話をしてやった。

死ぬ前の日も同じような調子で、何が気に入らないのか「りゅう」はよく鳴いた。母は「今日はまた特に良く鳴く」と思いながら、世話をしてやった。
やっと夜になって、小屋の周りと中をもう一度きれいに掃除して、敷物をきちんと敷き直してやり、水を入れた容器を置き、「りゅう」を連れてきて「もう小屋の中に入って寝なさい」というと、犬はさすがにおとなしく小屋に入って、敷物の上で丸くなった。
「おやすみ」と声を掛けると、かれは母を見上げながら、少し尻尾を振ってみせた。

「もう随分あの犬が尻尾を振るのを見ていなかったから、珍しいこともある、と思ってその日は寝たんだけど、翌日の朝に見たときにはもう死んで冷たくなっていた」と母はその時のことを話してくれた。

一族の皆でその話を聞きながら、少し涙した。

在りし日の「りゅう」
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カバー画像はWikimedia Commonsより。
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