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KONO's Diary-休むに似たり



2009-01-08 [長年日記]

_ [] 落語の国からのぞいてみれば

落語の舞台(おおむね江戸時代)についての解説を通じて、今の世間の「アタリマエ」が実はそうでもない、ということを浮き彫りにする本。 最初の「数え年」の話から引き込まれる。近年もっとも頻繁に演じられる落語「子ほめ」の話をマクラに、数え年と満年齢の比較論になる。以下引用。

満年齢は「個人」を中心にした数えかた、数え年は「社会」からみた数えかた、そういう違いでしかない。

戦国武将の年齢を調べているときに気がついた。

織田信長。

彼は一五三四年に生まれて、一五八二年に死んでいる。

さて、満何歳で死んだのでしょう。

満年齢での死亡年齢を知るためには、これから信長の誕生日を調べ、殺された日を調べて、本能寺にお詣りに行って、冥福を祈って、おのれ光秀め、とひとことくらい言わないとわからないわけだ。

本能寺の変はまだ有名だからいいですよ。調べやすい。徳川家康が天麩羅を食って死んじゃった日はいつなのか、かなり詳しい本を見ないとわからない。誕生日がわからない偉人も多い。誕生日がわからなければ、死んだ満年齢は正確にはわからない。

つまり満年齢というのは、誕生日と死んだ日というきわめて個人的な情報にもとづいたプライベートな年齢なのだ。数え年なら早い。1582-1534。信長は数え四十九で死んでいる。引き算一発である。ま、引いて1足さないといけないですけどね。

(中略)

年は干支で記される。もしくは年号プラス干支ですね。

平成十九年は丁亥。ひのと・い。平成二十年は戊子。つちのえ・ね。平成二十一年は己丑。つちのと・うし。一年ずつで区切ってる。丑年に生まれた子供がいるとする。何月何日かはどうでもいい。子供の年齢は「その子が"社会の一年区切り"で何回存在していたか」で数える。丑の年に生まれ、寅年になれば、その子はうちの社会の区切りで二年存在していたことになる。だから二歳。社会から見て二歳。一年区切りという社会感覚が先。人の年齢はそれに合わせて数える。

0からは始めない。

大晦日に生まれて一歳。翌日が翌年なので、大晦日生まれは二日で二歳になってしまう。このポイントをよく「二日で二歳になるのでリンダ困っちゃう」というニュアンスで紹介されることがあるが、困っちゃえリンダ。「この社会に足かけ何年いるのか」が社会的に求められた年齢表示なのだ。

[第一章 数え年の方がわかりやすいより引用]

ぼくも「数え年」は非合理な古いしきたりであり、「満年齢」が正しい年齢の数えかたと思ってきたが、言われてみると確かに満年齢には不便なところも多い。死んだ人が享年何歳だったかなんて、ほとんどどうでも良いことかもしれないけれども、でも堀井氏の文章を読んだ後は「満年齢よりも数え年の方が合理的」と思うようになった。

その他、「明け六つ、暮れ六つ」などの時刻の話、ゼニとカネが別のものである話、左利きのサムライはいない話、等々、考えさせられる話が盛りだくさん。

昨今は落語ブームのようで落語に関する本がいろいろ出ているけれども、落語を良く見る人にとってもそれほど見ない人にとっても実に興味深い一冊という点で、本書はイチオシでしょう。

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